北斎&広重 二版描く次元が違うとは、どういうことだったのか。見比べて気づいたこと

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長年、私の記憶の底でずっと鮮烈な光を放ち続けていた、一枚の情景。
​前回の記事では、開催期限の終了が迫る「北斎&広重展」の会場で、私が繰り広げた「ある一枚の正体を探す旅」をお届けしました。

​消えたお目当ての作品、展示員さんから告げられた前後期入れ替えの事実。文字だらけの目録を前に焦りながらも、ミュージアムショップの図録のなかでついに「カチリ」とパズルがはまった、あの瞬間。
私の心をフリーズさせた一枚の正体が、歌川広重の『京都名所之内 通天橋ノ紅楓』だと突き止めたときの高揚感は、今も忘れられません。


​無事にミッションを終え、どこかほっとして、満ち足りた気持ちになった私の目に飛び込んできたのは、前回以上に鮮明に伝わってくる、北斎と広重の決定的な「違い」でした。

​「この二人は、単に作風が違うというレベルではない。そもそも、まったく別の次元で描いているのではないか」

展示室を巡るうちに、私の中で一つの疑問が大きくなっていきました。
なぜ私は、北斎と広重を見て「描く次元が違う」と感じたのだろう。

​今回は、あの展示室で確信へと変わった「比較・考察編」です。
その答えを探しながら、二人の天才が見つめていた世界そのものの違いと、私が肌で感じた「次元の正体」を、じっくりとひも解いてみたいと思います。

目次

『通天橋ノ紅楓』――名前を突き止めた、その瞬間から

​見本として置かれていた図録を手に取り、ページをめくる。
1回目は、はやる気持ちを抑えながら全体を。
そして2回目は、前回の訪問時に私の足を引き止めた、あの色彩の記憶と1ページずつ慎重に照らし合わせながら。

​目を凝らし、記憶の底をさらうようにして探した、その結果――。
あるページの、ある作品の前に、私の目が釘付けになりました。私の中で、カチリと音を立ててパズルがはまるような、かなり高い確信が生まれた瞬間でした。

​私の心をフリーズさせたあの1枚。その正体は、やはり歌川広重の『京都名所之内 通天橋ノ紅楓』だったのです。

思わず、図録を前ににっこり微笑んでいました。
会期終了が迫る中、あきらめずに探し求めた末に辿り着いた最大の成果が、まさにこの瞬間にありました。

長年胸の奥にモヤモヤと引っかかっていた謎が解け、どこかほっとして、満ち足りた気持ちになった私。

せっかくの機会ですから、新しく入れ替わった後期展示の作品​作品たちを、今度は純粋な鑑賞者として、ゆっくりと順に巡っていくことにしました。

図録を閉じ、再び薄暗い展示室へと足を戻したその先で、私はさらなる驚きの光景に出会うことになるのです。

広重が見せる世界――そこに流れる「空気」と、私たちを誘う旅情

再び展示室の作品たちの前に立ったとき、私の目にあたたかく飛び込んできたのは、歌川広重が描き出す世界の「優しさ」でした。

広重といえば、あの深く美しい青――「ヒロシゲブルー」が有名ですが、彼のキャンバスにあるのは決して冷たい寒色だけの世界ではありません。そこには、赤系や桃色、あるいは黄色といった、じんわりと体温を感じさせるような温かみのある色が絶妙なバランスで溶け込んでいます。

これらの色彩が、お互いを邪魔することなく響き合い、息をのむほど美しい「色彩の調和」を生み出しているのです。

この調和があるからこそ、広重の絵には単なる名所の風景を超えた「空気感」が宿ります。
いま、この場所にどんな風が吹いているのか。
雨の匂いはどれほど濃いのか。
そして、目の前の景色がどんなふうに季節を移ろわせていくのか――。

広重の絵を見つめていると、いつの間にか私たちは、描かれている江戸の旅人たちと同じ地平に立ち、同じ地を踏みしめているような感覚に陥ります。絵の外側から眺めるのではなく、その「風景の一歩内側」へと、そっと優しく招き入れられるような心地よい没入感。

それこそが、広重が私たちに見せてくれる情緒豊かな世界なのだと、改めて気づかされたのです。

広重の作品に惹かれる理由を深く考えているうちに、私は彼のあの特徴的な色彩の背景について、もっと知りたくなりました。

そんなときに出会ったのが、梶よう子さんの小説『広重ぶるう』です。あの深く美しい青がいかにして生まれたのか、彼の生涯とともに瑞々しく描かれた一冊。展示室で感じた空気感を、さらに奥深く旅してみたい方におすすめです。

北斎が創り出す世界――視線を奪い、常識をひっくり返す「画面支配力」

​広重の優しい情緒に心が満たされた後、葛飾北斎の作品の前に立った瞬間、展示室の空気がガラリと張り詰めるのを感じました。そこに広がっていたのは、まさに「別格」と呼ぶにふさわしい、圧倒的なエネルギーです。

北斎の作品でとりわけ印象的だったのは、青と緑をベースに展開される、どこか研ぎ澄まされた色彩の世界。ですが、彼が本当に見せようとしているのは、そうした表面的な色の美しさだけではありません。

彼は、自然の構造やその形そのものを、極めて冷徹かつ大胆に、独自の視点で切り取っているのです。

​たとえば、代表作である『神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)』に見られる、あの大胆に立ち上がる巨大な波の構図。あれは単に目の前の風景を描写したというよりも、自然の持つダイナミズムや、目に見えない力そのものを脳内で再構築してキャンバスに落とし込んだような、圧倒的な迫力を感じさせます。

「そこにそんな角度から光を当てるのか」
「なぜ、これほどまでに大胆な構図が成り立つのか」

そんな奇抜な構図や、常識を鮮やかに裏切る視点の数々に、私たちの目は否応なしに奪われ、釘付けにされてしまいます。

広重が「読者をその景色の中にそっと招き入れてくれる」のだとしたら、北斎はまったく逆です。景色をそのまま描くのではなく、自分の脳内で完璧に再構築した世界を、こちらの都合などお構いなしに、五感へダイレクトに突きつけてくる。

そこには、鑑賞者を一瞬で自らの世界観に引きずり込み、ひれ伏させてしまうような強烈な「画面支配力」があります。自然への畏怖すら感じさせるその圧倒的なアプローチの前に、私はただただ、言葉を失って立ち尽くしてしまいました。

北斎や広重が生み出した、時代を超えてもなお鮮烈な色彩の数々に触れていると、どこか内側を刺激されて、自分でも手元に何かを書き残したくなるような、贅沢な創作の衝動に駆られます。

そんな「表現してみたい」という気持ちに、そっと寄り添ってくれるのが、彼らの色彩を再現した浮世絵モチーフのインクです。
まずは一色、お気に入りの万年筆にあの瑞々しい「青」や「緑」を忍ばせて、日々のノートに言葉を紡いでみる。そんな小さくて贅沢な試みが、机の上の時間を特別なものに変えてくれます。

タッチア 浮世絵インク

同じ浮世絵なのに何が違うのか――「風景の一歩内側」と「世界の創造主」

​広重の優しさに包まれ、北斎の迫力に圧倒される。そんな贅沢な行き来を繰り返すうちに、私のなかで、ある確信がはっきりと形作られていきました。

それは、この二人の天才は単に「好む作風が違う」とか「得意な技法が違う」といった、そんな単純なレベルで語るべき相手ではない、ということです。

彼らは、そもそも「全く別の次元」で筆を握っている。

​歌川広重という絵師は、常に私たちと同じ地面に立ち、同じ人間としての優しい目線で風景を見つめていました。だからこそ、絵の中に流れる時間を私たちと共有し、その一歩内側へと温かく迎え入れてくれるのです。それは、人と自然との美しい「調和と情緒の次元」です。

一方で、葛飾北斎という絵師は、まるで神の視点、あるいは世界の創造主のような位置から自然を見下ろしていました。景色をただ写し取るのではなく、自然の真理や湧き上がるエネルギーそのものを、完璧な幾何学の中に閉じ込めて突きつけてくる。それは、人間の感情を超越した「創造と破壊の次元」です。

目指している目的の地が、最初から全く異なっている。
だからこそ、どちらが優れているかという優劣の議論は、ここでは完全に無意味になります。

私たちは、同じ「浮世絵」というひとつの表現のなかに生まれた、全く異なる二つの至高のアプローチを前に、ただその美しさをそのまま受け取り、​それぞれの世界に心地よく、心酔すればいいのだ。

その境地にたどり着いたとき、私の胸にあった「なぜ描く次元が違うのか」という問いは、すとんと心地よい納得感へと変わっていきました。


​最高の美に触れ、二人の天才の次元に心酔したあの展示室の余韻。それは時に、目に見えるものだけでなく、「香り」としても記憶に深く刻まれるような気がします。

浮世絵が持つ唯一無二の世界観を香りで表現した「浮世絵香水 KYOTO」シリーズも、とても興味深い存在です。五感のすべてであの洗練された空間に浸るように、日常の中でふわりと特別な余韻をまとってみるのも素敵ですね。

浮世絵香水 KYOTO

だから私は、あの空間で立ち尽くした

​「なぜ描く次元が違うと感じたのか」

​その違和感の正体をひも解いたとき、私のなかで、彼らが遺した作品への愛着はさらに深く、確固たるものへと変わっていきました。

今回の再訪は、単に美術展を観に行くという言葉だけでは収まらない、私にとって「忘れられなかった作品の正体を探しに行く旅」という、ひとつの物語を持った特別な体験となりました。

​無事にその正体が『京都名所之内 通天橋ノ紅楓』だと分かった今、私の心は、この物語のさらに奥にある「すべての始まりの場所」へと向かっています。

​「そもそもなぜ私は、これほどまでに北斎や広重の世界に、深く心を掴まれてしまったのか?」

​その原点となるお話――私自身が北斎という天才に触れ、浮世絵という果てしない美の世界へさらなる一歩を踏み出すきっかけとなった【特別編:エピソードゼロ】については、またこれからのシリーズのなかで、じっくりとお伝えしたいと思います。

​巨匠たちの瑞々しい視点に触れたからでしょうか。
美術館を出たあとに見上げた初夏の京都の空は、いつもより少しだけ、鮮やかに澄んで見えました。

​展覧会をあとにしても、浮世絵が遺してくれたあの凛とした和の余韻は、日常のなかでいくらでも楽しむことができます。

たとえば、お気に入りの浮世絵柄の手ぬぐいは、もっとも気軽にその美を暮らしへと取り入れられる存在かもしれません。日々の生活にすっと馴染み、使うたびにあの美しい景色を思い出させてくれます。

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そんなふうに、素晴らしい作品たちに心躍らせたあとの、からだ中火照ったような感覚のなかで、私の心はふっと、別の日に出逢ったあの「涼やかな情景」へと繋がっていきます。

同じように初夏の気配を感じながら、ひんやりとした涼を求めて向かった、あの愛おしい場所。
美術の余韻とともに、京都の初夏をめぐる瑞々しい街歩きの続き(かき氷のお話)は、こちらからどうぞ。

​巨匠たちが描いた京都は、
今も変わらず美しい季節を迎えています。

初夏の京都へ、
心ほどけるひとときを探しに出かけてみませんか。

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