「今日はなにか美味しいものを作りたい」と思った時、ふと手に取る「だし」。
いつもは手軽な粉末だしを使っているけれど、ふとした瞬間に「本物の昆布だしとは、一体何が違うんだろう?」と疑問に思ったことはありませんか。
その答えを探すべく、私はだしの現場を訪ねてきました。そこで教わったのは、単なる味の濃淡ではない、昆布だしにしか出せない「奥行き」の秘密。 今回は、現場で直接伺ったお話をもとに、粉末だしとの決定的な違いを分かりやすくお届けします。
五辻昆布の店内で、引きたてのだしを口に含んだ瞬間、遠くの記憶が呼び起こされたような感覚になりました。鼻を抜けるのは、海が育てた清らかな香り。舌の上には、ふくよかな旨みが静かに広がります。

「昆布の旨みって、こういう美味しさなんだ」
それは、今まで慣れ親しんできた粉末だしとは明らかに異なるものでした。けれど、何がどう違うのか。その圧倒的な差を前にしても、そのときの私にはこの違いをどう言い表わせばよいか分かりませんでした。ただ漠然と、「何かが決定的に違う」ことだけを肌で感じていたのです。

どうして昆布だしなのか?という疑問
体験として「美味しい」ことはしっかりと実感しました。けれど、同時に拭いきれない正直な疑問もはっきりと姿を現します。
現代の粉末のだしは、驚くほど優秀です。
お湯に溶かすだけで、誰が作っても一定の美味しさが保証されます。
時間も手間もかからないその存在は、忙しい日常を送る私たちにとって、かけがえのない「正解」のひとつでもあります。
「粉末でもこんなに便利で美味しいのに、なぜわざわざ手間をかけてまで、昆布からだしを取る必要があるのだろう?」
この素朴で、けれど避けては通れない疑問の球を、私は目の前のプロフェッショナル−五辻の昆布の大塚さんに、まっすぐ投げてみることにしました。

プロに直接聞いた「だしの違い」
私の唐突な質問に対して、大塚さんは静かに、けれど一つひとつの言葉を丁寧に吟味するように答えてくださいました。
「あくまでも私個人の見解になりますが…」
①繊細さ:自分で「味を作れる」自由度
まず挙げられたのは、その「繊細さ」です。
粉末だしはある意味で完成された味ですが、昆布だしはどこまでも「素材」。
その日の気温や合わせる食材、あるいは自分の体調に合わせて、抽出する時間や温度をかえることで、味の濃淡を自在に操れます。
つまり、料理の土台を「自分でデザインできる」という自由がそこにはありました。
そう前置きして語られた言葉は、単なる成分や栄養価の話ではありませんでした。
それは、だしという存在の「あり方」そのものに触れるものだったのです。
②自然由来:スッと馴染む、不自然さのなさ
次に、その「純粋さ」。
余計な添加物や保存料を使わずに、昆布と水だけで完結する世界。身体になんの抵抗もなくスーッと染み込んでいく感覚は、自然由来の素材だからこそ成し遂げられる「納得の味」なのだと思います。
③循環:使った後まで続く「お愉しみ」
そして、特に伝えたいのは、だしを取った後の昆布の存在です。
「役目を終えたら終わり」ではなく、その後に佃煮やふりかけとして姿を変え、最後まで食卓を彩る、ひとつの素材を使い切るという行為そのものが、食に対する敬意と暮らしの豊かさに繋がっているのです。
昆布だしと粉末出しの決定的な違い
大塚さんのお話を伺い、私なりにその「違い」について、考えてみました。
それは、どちらが良い・悪いという二元論ではなく、私たちの「選択」の質に関わることでした。
違い その1:味を「受け取る」か「自分で整えるか」
与えられた味に従うのではなく、その日の自分のために味を整える。
その「主体性」の有無が大きな差になります。
違い その2:点ではなく、「線」の体験
お湯に溶かして消える「点」の便利さに対して、だしを引き、香りを楽しみ、
最後は昆布を食べるという一連の「線」の体験。
違い その3:素材への距離感
眼の前にある一枚の昆布が、どこからきて、どう変化するのか、そのプロセスが見えるという「安心感」と「愛着」が昆布だしにはしっかり詰まっていました。
「丁寧な暮らし」という視点から見えてきたもの
対話の終盤、私は大塚さんにこのようなことを話していました。
「丁寧な暮らしはとても贅沢な、特別なことだと思っていました。でも、こうしてだしを引く時間そのものが、自分を大切にする時間に繋がっているんですね」
大塚さんは優しく微笑みながら「そうかもしれません。特別なことではなく、ただ、素材に寄り添うだけなのです」と。
プロに問うて分かったのは、技術的な差というよりも、「自分の暮らしをどう味わいたいか」という姿勢の差でした。 忙しいからこそ、一瞬立ち止まって、昆布からだしが広がる琥珀色の水辺の景色を眺める。 その余裕を持つこと自体が、京都の老舗が守り続けてきた「格」の本質なのだと感じたのです。
まとめ|どうして昆布だしなのか
「昆布だしは何が違うのか」
その答えは、味の深みや成分といった目に見えるものだけではありませんでした。
それは、「自分の手で味を創り、命を使い切り、時間を愛おしむ」という、人間らしい営みの豊かさそのものでした。
粉末だしの便利さを否定する必要はありません。
けれど、もしあなたが日々の食事に「なにか物足りない」と感じているなら、ぜひ一度、一枚の昆布と向き合ってみてください。
そこに広がる豊かな余韻は、きっとあなたの心と身体を、やさしく、そして深く満たしてくれるはずです。
その本質的な心地よさを知ったいま、私はあえて言葉にします。
「だからこそ、昆布だしなんだ」と。

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