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一の鳥居をくぐり、広い境内の静寂を肌で感じた前回。
その静かな空気をいっそう清らかに研ぎ澄ましているのは、絶え間なく流れる「水の音」でした。
歩みを進めた先、ならの小川のせせらぎに混じって聞こえてくる、もうひとつの瑞々しい響き。
手水舎に流れているのは、上賀茂神社の背後にそびえる神域・神山(こうやま)に由来する「神山湧水(こうやまゆうすい)」です。
今回は、この場所の清浄さを根底で支える「水」の物語を綴ります。

静かな境内で出会った、水の気配
手水舎の前に立つと、まずその水の透明度に目を奪われます。
柄杓に受けた水は、驚くほど軽やかで、光を透かしてキラキラと揺らめいています。
指先に触れた瞬間の、凛とした冷たさ。
それは単なる温度の低さではなく、どこか遠い場所から届いたばかりの、混じりけのない
「生きた水」の感触でした。
第一回「一葵」で感じた、あの張り詰めたような、それでいて優しい神域の空気。
その正体は、この絶え間なく湧き出し、流れ続ける水の存在にあったのだと気づかされます。
神山湧水とは何か

この水は、上賀茂神社の北西約2キロに位置する「神山(こうやま)」の伏流水です。
神山は、ご祭神である賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)が太古に降臨されたと伝わる、今も禁足地として守られている聖なる山。
その神山の地中深くで育まれた水が、悠久の時を経て、いま目の前の手水舎へと届けられています。
神様が降り立った山から湧き出す水。
そう思うと、手水舎の景色が、ただの準備の場所ではなく、神域の深部と直接つながる入り口のように見えてくるから不思議です。
手を清めるということ

参拝前に手を洗い、口をすすぐ。
古くから続くこの作法には、目に見える汚れを落とす以上の意味が込められています。
水に触れることで、日常の中で知らず知らずのうちに身に纏ってしまった「雑念」や「急ぎ足な気持ち」を、一度リセットする。
冷たい水が肌をなでる感覚に集中するうちに、バラバラだった意識が自分自身の中心へと戻ってくるような、不思議な安らぎがあります。
参拝前のひとときは、いわば「心身のチューニング」。
神山湧水は、そのための最も贅沢で清らかな媒体となってくれるのです。
手を清めるという何気ない所作には、気持ちを静かに整える力があるように感じます。
日常でも、お気に入りの道具でお湯を沸かし、ゆっくりと味わう時間を持つだけで、少し心がほどけることがあります。
凛とした佇まいのケトルは、お湯を沸かす音さえも心地よく響きます。 自分を慈しむ、静かな準備の時間のために。
目に見えないものを支える、水

上賀茂神社の境内を歩いていると、どこにいても水の気配を感じます。
「ならの小川」として流れる水も、この神山湧水も、淀むことなく常に動き、入れ替わり続けています。
この「流れ続けていること」こそが、上賀茂神社の世界観そのものです。
数千年の歴史を持ちながら、常に新しく、清らかであること。
目に見える社殿や森を支えているのは、目に見えない地下を流れるこの豊かな水脈。
形のない水が、形ある神域の尊さを守り続けている――。
その事実に触れたとき、私の内側にも、水がしみ込むような深い静けさが広がっていきました。
上賀茂神社で触れた清らかな水の感覚を、日々の暮らしの中でもそっと思い出せるようなものを集めました。
京都で、五感をひらく体験を
上賀茂神社で感じた静けさや清らかさは、
京都のさまざまな文化体験の中でも味わうことができます。
茶道や香道、和菓子づくりなど、
京都ならではの体験を通して、
旅の記憶をより深く味わってみませんか
京都に泊まって、朝の上賀茂神社へ
境内の静けさをゆっくり味わうなら、
京都に一泊して、
朝の澄んだ空気の中で訪れるのもおすすめです
次回の三葵は

水によって感覚を整えた後は、その感度をさらに内側へと向けていきます。
次回の「三葵」では、香料を調合し、自分だけの「守り香」を作る体験へ。
神山の恵みで清められた心に、どのような香りが響くのでしょうか。
五感をひらく旅は、いよいよ香りの世界へと進みます。
神山湧水については、神職の柴田宮司にお話を伺う機会がありました。
その際、「神山(こうやま)」という名前の由来や、この水が古くから大切に守られてきた歴史を詳しく教えていただき、改めてこの水の尊さを実感しました。

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