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昨年の、いつもの散歩道にて。
京都の街が、淡い桃色の気配に包まれ始める季節となりました。
この春、私は日々の暮らしの合間に、チェストの奥に大切にしまい込んでいた品々と向き合う時間を持っています。久しぶりに取り出した際、ふわりと漂ったのは、それらを大切に仕舞った当時の香り。その香りに誘われるように、かつての旅先で出逢った景色や、家族と分かち合った時間の断片が、鮮やかに蘇ってきます。
その中に、ひときわ愛着を持って集めてきた「桜」のアイテムがありました。
わが家にとって、桜は単なる季節の花ではありません。それは、娘の名に宿した一字であり、彼女の誕生を祝ったあの日から、私たちの暮らしの真ん中にある特別な記号(モチーフ)なのです。
5年前、京都の暮らしに馴染もうと必死だった私を支えてくれたのは、それ以前から少しずつ集めてきた手仕事の品々でした。
幼かった彼女の健やかな成長を願い、本物の手仕事に触れさせたいと背伸びをして選んだ器。 彼女が生まれるずっと前、パートナーと京都を巡るたびに、その静謐な美しさに惹かれて集めた京唐紙。 そして、いつの間にか私よりも軽やかに、和の布を日常に使いこなすようになった彼女の愛用品。
振り返れば、それら一つひとつの「桜」の意匠は、私たちが共に歩んできた歳月の栞(しおり)のようでもあります。
今回は、長い歳月を経て、改めて私の手元で輝きを増した四つの「桜の断片(よひら)」を紐解きながら、手仕事が紡ぐ家族の物語と、これから私が描き出したい新しい美の予感について、静かに綴ってみようと思います。
一片(ひとひら):京唐紙に託した、最初の手仕事
娘の誕生という、人生で最も尊い節目。 その名披露目(お披露目)のために私が選んだのは、パートナーとかつて京都を旅した際、その静謐な美しさに心奪われた「京唐紙」でした。
伝統の文様に宿る、親の願い
数ある文様の中から迷わず手に取ったのは、やはり彼女の名にちなんだ「桜」の意匠。 淡い光を孕んだような和紙の質感と、そこに浮かび上がる柔らかな桜の輪郭。それは、これから始まる彼女の人生が、春の陽だまりのように穏やかで、多くの人に愛されるものであるようにという、親としての最初の願いでもありました。
掌(てのひら)に伝わる、父の筆跡
名披露目の当日。 桜模様の唐紙を前に、彼女の父が静かにペンを執りました。 筆ペン、あるいは日頃から愛用していた万年筆だったでしょうか。一字いち字、娘の名前を丁寧に、そして迷いなく綴っていく。
その表情からは、言葉以上の喜びと、大切なわが娘を近しい人々に温かく迎えてもらいたいという穏やかな想いが伝わってくるようでした。
デジタルなやり取りが当たり前になった今、あの時の一枚いち枚に宿された「手書きの温度」は、何物にも代えがたい宝物です。
未来へ繋ぐ、もう一箱の「桜」

当時、京都に訪れる度に購入してきた未使用の和紙とともに、手元に残した名刺サイズのカード。
実はこのカードと同じものをもう一箱、未開封のまま大切にチェストの奥に仕舞ってあります。
それは、いずれ娘が成長し、特別な機会にこうしたカードが必要になる時が来たら、また同じこの「桜」を使えるように……。そんな願いを込めて、あの日、遠い将来娘にあげるのを楽しみに購入しておいたものです。
封を切れば、あの日の穏やかな空気までが逃げていってしまいそうで、今はまだ大切に閉じ込めたまま。
けれど、いつか彼女が自らの手でこの封を開ける日が来るのを想像するだけで、私の心には温かな未来の光が差し込むのです。
この名披露目の思い出が象徴するように、京唐紙の美しさは、大切な節目を寿(ことほ)ぐ特別な力を持っています。今回は、その最高峰とも言える、春の慶びに満ちた逸品をご紹介します。
二片(ふたひら):日常を慈しむ、作家の器
私は彼女が幼い頃から、折に触れ、できるだけ「ほんもの」に触れさせたいと考えきました。「割れてしまうと大変」と遠ざけるのではなく、大切に扱わなければ壊れてしまう儚さを知ることで、物を慈しむ心や、美しい所作を自然と身につけてほしい。言葉で教えるよりも、掌(てのひら)に伝わる土の温度や、個々の器ごとに異なる質感を通して、<感じること>を大切にしてほしいと想っていたのです。
そんな「ほんもの」への入り口として、奈良の馴染みの店で出逢ったのが、ある作家の手による桜の器でした。淡いピンクの釉薬が春の霞(かすみ)のように広がる、繊細でありながら芯の強さを感じさせる一品です。
掌から育つ、美しき所作
当時はまだ幼かった彼女に、この器を預けるのは少し勇気のいることだったかもしれません。けれど、重みを感じ、表面の細かな凹凸を指先でなぞる。その経験こそが、物を丁寧に扱うという「美しい所作」の種になると信じていました。
長い歳月を経て、今の暮らしに

長い歳月を経て、その器は今、娘の日常に当たり前のように溶け込んでいます。
今日のスイーツタイムは、名古屋名物の「なごやん」を桜風味に仕立てた、春色の生なごやん。 かつては私の願いを込めて食卓に並んだ器が、今は彼女自身の手で選ばれ、穏やかなティータイムを彩っている。その自然な光景を目にするたび、私の心にも静かな春が訪れるのです。
長い歳月を経て、さらに愛おしく。掌(てのひら)に伝わる土の温もりを、日々の相棒に。
今回は桜を選びましたが、季節ごとに移ろう花々の彩りもまた、格別の美しさです。また別の機会に、ゆっくりご紹介しますね。
三片(みひら):季節を纏う、桜の手ぬぐい
一片目の「記憶」、二片目の「日常の器」に続いて、三つ目の断片は、もっとも身近な布(テキスタイル)に宿る桜です。
それは、私から桜和子の手へと自然に渡っていった、一枚の桜模様の手ぬぐい。
憧れを、軽やかに超えていく
日常の中で手ぬぐいをさらりと使いこなすこと。それは、私にとってずっと密かな「憧れ」でもありました。けれど彼女は、そんな私の想いを軽々と飛び越えて、私以上に手ぬぐいを生活の中に馴染ませ、自在に使いこなしています。
この桜の手ぬぐいも、その一つ。 気がつけば、彼女の日常の中に当たり前のように存在し、しっくりと溶け込んでいる。その様子を眺めていると、どこか「うらやましい」ような、それでいて、なんて素敵なことだろうと誇らしく思うような、不思議な心地良さに包まれるのです。
暮らしに馴染む、桜の風景

手ぬぐいの良さは、その「用の美」にあります。
お弁当を包んだり、首元にふわりと巻いたり。使い込むほどに柔らかく肌に馴染んでいくその質感は、私たちの間に流れる穏やかな時間のようでもあります。
私がかつてこの桜に託した想いが、彼女らしい新しい彩りを持って、飾らない日常の一部になっている。その風景こそが、私にとっての新しい「桜のしらべ」なのかもしれません。
そんな日常をさらに彩る、春の色たちを集めてみました。
その日の心模様に合わせて、こんな手ぬぐいを纏わせてみるのも素敵です。

伝統の唐草に桜をあしらった、気品ある花緑青の世界。
甘すぎない大人の可愛らしさが、贈り物にも喜ばれます。
四片(よひら):五感で愉しむ、春の落雁
「一片」から「三片」まで、私たちの歩みと共にあった桜の断片。 その最後を飾るのは、五感のすべてで春を愛でる、ひとときの「口福(こうふく)」です。
掌(てのひら)に咲く、小さな春
これは以前に、お取り寄せしたことのある大変繊細な落雁です。 これまで数々の落雁を賞味してきましたが、その中でも特に印象深い、細工の行き届いた芸術作品級の落雁。
箱を開けた瞬間に広がる、春の気配。 淡い桃色のグラデーション、繊細な花びらの造形……。それはまるで、厳しい冬を越えてようやく咲き誇る、京都の春そのものを凝縮したかのようです。
春の香りを一粒。大切な方への贈り物や、ご自宅での小さなお花見に。
今回は桜を選びましたが、季節ごとに移ろう花々の落雁もまた、格別の美しさです。また別の機会に、ゆっくりご紹介しますね。
響き合う、桜のしらべ
二片目でご紹介した、思い出の桜の器にこの落雁をそっとのせて。
器の釉薬のピンクと、落雁の繊細な色が重なり合い、食卓にひとつの美しい「しらべ」が生まれます。
一口含めば、和三盆の優しい甘みが舌の上でふわりと解け、鼻腔を抜ける微かな桜の香り。
娘と二人、お気に入りのお茶を淹れて、器や手ぬぐいの思い出を語らう時間。
それは、かつて私が彼女に願った「ほんものに触れ、感性を育む」という種が、今こうして目の前で美しい花を咲かせていることを実感する、深く満ち足りた時間でもあります。
まとめ:最初の一片から広がる、春の景色
一片(ひとひら)の記憶から始まり、手ぬぐいの彩りを経て、この「口福」へと至った、新しい桜のしらべ。
かつて私が桜に託した想いは、娘の感性という光を浴びて、今、より穏やかで凛とした「美」へと姿を変えました。
特別な準備はいりません。 ただ、好きな色を選び、丁寧にお茶を淹れ、今ここにある春を愛でる。 そんな飾らない日常の積み重ねこそが、私たちの暮らしを、本当の意味で豊かにしてくれるのだと信じています。
日々の中にある、小さな「和」と「美」。 それを慈しむ心があれば、私たちの日常はいつだって、はんなりとした輝きを放ち続けるはずです。





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